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| City104|> 中東・北アフリカ地域の宗教と文化 >vol.4 |
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久山宗彦 (くやま むねひこ)
1939年 京都府生まれ。
東北大学大学院修了。ハワイ・イオンド大学名誉博士。 1976〜78年
カイロ大学文学部日本学科客員教授。法政大学教授, 星美学園短期大学長を経て、現在、カリタス女子短期大学学長。法政大学講師。元「イラクの子供たちを救う会」代表。 新共著に「イスラム教徒とキリスト教徒の対話」(北樹出版)がある。
「日本・中東アフリカ文化経済交流会」(JMACES)会長。
日本イラク文化経済協力会規約(NICE Society)会長。 |
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中東・北アフリカ地域の宗教と文化
第4回 ムハンマド・ウバイイス氏夫妻と「フィ・サビール・アッラー」 −イラク− |
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問題を抱えた人に対する積極的な喜捨(サダカ)ほど大事なものはない、とクルアーンは明言している。だが、このことは人間にとって、特に物質的に恵まれた人にとっては難しいようだ。
湾岸戦争後、イラクの乳幼児に対する*救援活動を長年仲間と共にほぼイラク全土でやってきたが、國際ボランティア貯金からの配分は別として、日本でこの活動をサポートしてくれた個々の方は、大抵は経済的にはあまり恵まれない人たちであったように思う。人間モノや地位・名誉に恵まれると、敢えて大袈裟に言えば、それが最後まで頼りになる偶像と感じられるようになり、それと逆比例して内的・霊的面が疎かになるものだ。
ところで私は最近、以前からの親しい友人ながら、なかなか会う機会のなかったイラク人、ムハンマド・ウバイイス氏と語り合うチャンスを得た。かれは、我々がかれの故郷、南イラク・バビロン州のサダト・ヒンデイヤの病院に、極度の栄養失調に陥っている乳幼児を救援すべく必須の医薬品・粉ミルクを十数回に及ぶ救援のほぼ毎回トラックから降ろして提供していたが、それを当地に住んでいたムハンマド・ウバイイス氏が支援してくれ、このことが私がかれと出会う切っ掛けとなり、来日することになった。日本語も達者になったかれは、今では成田空港関係の仕事に専念している。
来日後のムハンマド・ウバイイス氏は暫く経って父親を亡くし、その後、母親とはヨルダンのアンマンまで母と息子それぞれがイラク・日本から出掛けていって再会する予定であった。だが、約束の日の数日前に母親はサダト・ヒンデイヤで亡くなったという。この話を私にしてくれた時のかれの目に涙がいっぱい溜まっていたのを、私は今でもはっきりと覚えている。日本で生きていくのに精神的にも肉体的にも疲労困憊状況にあったこの時期に、かれ自身も栄養失調になって入院を余儀なくされた。しかし、その後、同郷から新妻を迎え入れたかれは幸せで満たされ、今では実に男らしく立ち直っている。
かれの妻、シャイマーさんも父親を早い時期に亡くし、家計もなかなか厳しかったようであるが、亡くなった夫の意に従うシャイマーさんの母親は男女9人の子供たちを実学へ急がせるのではなく、次々と大学まで出させている。姉妹のなかで最年長のシャイマーさんはムハンマド・ウバイイス氏の賢い伴侶と私は思う。
これまでの精神的・物質的困難をどうにか克服してきたウバイイス・シャイマー夫妻には、自分たちの方から他者の困難・解決すべき問題点に共感し、進んで他者と連帯していく姿勢が自然と出ているように思われる。ムハンマド・ウバイイス氏は、友人のハサン氏(イラク国籍で現在、岐阜大大学院生)の来日早々の困難な時期に、自分も厳しい状況にありながら率先して経済的支援をしていたし、一方、シャイマーさんは故郷(ふるさと)で種々に渡ってサポートしてくれた兄、ユーセフ・ジュワード氏の東京訪問を、心から受け入れようとしている。
さて、現在のイラクには以前では考えられないストリート・チュードレンの問題もある。
来日前のウバイイス・シャイマー夫妻も見ているし、私もイラクへの救援訪問後半時からは、かれらとたびたび接することになった。経済制裁が一向に解除されないイラクの大都会、例えばバグダードなどの交差点では、かれらが「フィ・サビール・アッラー」(常識的な日本語表現でなら「何かものを恵んでください」ということになるが、文字通りには「アッラーの道を歩いていって下さい」「アッラーのもとに達っするまで歩いていって下さい」の意である。)と言って車に乗っている人たちに語り掛けていた。ムハンマド・ウバイイス氏によれば、南イラク、ナジャフ・カルバラ両市のシンボルである、シーアのイマーム、アリやかれの息子、ハサンの廟の前で、巡礼のために出入りする多く人たちに話し掛けるストリート・チュードレンは、よその地に比べて断然多いようだ。アッラーの道を歩こうとしてやってきた巡礼者の多くは、アッラーの代わりをする子供たちの要請に穏やかに答えていたという。しかし、ものやお金がその時どうしても提供出来ない場合の返答としては、イラクでは「アッラー・ヤアティーク」(神があなたにお与え下さる)ということばが使われている。
*1991年に設立された「イラクの子供たちを救う会」(Save Iraqi Children略してS.T.C)はNGOとしてイラクへの入国が拒まれるまで何回も救援活動を行った。
つづく
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※久山先生は「イラクの子供たちを救う会(平成11年8月13日に目的を達成し解散)」の代表として約10年間に渡り先頭に立ってNGO活動を推進されました。現在は、日本と中東アフリカ地域の関わりに関心をもつ内外の人々の交流を図る「日本・中東アフリカ文化経済交流会」(JMACES)を設立、毎月1回講演会を行います。 |
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