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| City104|> 中東・北アフリカ地域の宗教と文化 >vol.14
久山宗彦 (くやま むねひこ)
1939年 京都府生まれ。
東北大学大学院修了。ハワイ・イオンド大学名誉博士。
1976〜78年 カイロ大学文学部日本学科客員教授。法政大学教授,
星美学園短期大学長を経て、現在、カリタス女子短期大学学長。法政大学講師。元「イラクの子供たちを救う会」代表。
新共著に「イスラム教徒とキリスト教徒の対話」(北樹出版)がある。
「日本・中東アフリカ文化経済交流会」(JMACES)会長。
日本イラク文化経済協力会規約(NICE Society)会長。
中東・北アフリカ地域の宗教と文化
第14回『中東地域に平和をもたらすには』(その1)
                     −中東・北アフリカ−

第二次湾岸戦争は確かに、多くのイラク市民を苦しめていたサッダーム体制の崩壊をもたらすことになったが、それにしてもイラク復興が徐々にはじまりつつある現時点で今回の戦争の正当性をじっくり再考してみても、日本政府も支持した米英中心のイラク攻撃は罪のない大勢のイラク市民を死に至らしめ、重傷を負わせ、そして国連の権威を完全に失墜させた、全く筋の通らぬ悪魔的戦いであったとしか考えられない。ついでに一つ指摘させていただくが、今の日本の政治リーダーは極めて重要な局面において、真実の大局的な判断を優先させることの出来ない小人であると痛感する次第である。

話は変るが、中東・北アフリカ地域のアラブ人・クリスチャン・ユダヤ人は「アッサラーム・アライクム」「サラム・アライクム」「シャローム・レーカ」(何れもあなた方の上に平和(平安)があるように、一般的にはこんにちはの意)と、互いの平和を願う挨拶を毎日繰り返しているが、かれらのほとんどはイラク戦の終わった今こそ、中東・北アフリカの真の平和を心から望んでいるに違いない。何十年も苦しめられてきたイラク、そしてパレスチナ等の中東の民は、今度こそ苦難から解放されたいと望んでいることであろう。戦闘・爆撃・襲撃から解放される日が一日も早く来てほしいと思っていることであろう。

ところで、私が中東・北アフリカ地域と関わるようになって早30年以上が経過するが、この地域に平和という夢が実現されつつあるなあと感じられる時期がこれまでは確かにあった。それはカイロ大学文学部日本学科に国際交流基金から派遣されている時であった。
ある日、カイロ市中心部のザマーレクの自宅フラットで、まだ幼かった次男が果物ナイフで遊んでいて、おでこを深く切ってしまった。血が吹き出てきたので早急に縫ってもらわねばと、自宅裏にある病院に直ぐに連れていったが、病院では丁度その時、入口近くに置いてあった大きなテレビの前に何十人もの患者・看護師がいて、かれらはエジプト大統領、アヌワル・サダート氏のイスラエル訪問実況中継に釘付けになっていた。息子は緊急を要するのでテレビを見ていた看護師に用件を伝えたところ、「ドクターは30分後に帰ってくるでしょう(インシャアッラー<アッラーの御旨のままに>)」という答が返ってきた。これを聞いた私は不安になって、息子を即座にタクシーに乗せて別の病院に駆け付けた。そこでは女医さんは麻酔をかけなかったが、傷口はうまく塞いでもらうことが出来た。

さて、サダート大統領のイスラエル訪問によって周りのアラブ諸国から袋叩きに遇ってしまったエジプトではあったが、その時から中東・北アフリカ地域の平和らしき時期はかなり続いたように思う。
その後、何年か経って、私はサダート氏に同行したエジプト生れのユダヤ人通訳、ハッダード氏が管理しているアレクサンドリアの海沿いのシナゴクを訪ねる機会を得たが、アラビア語を流暢に話すかれは「サダート大統領のエルサレム(クドゥス)訪問は前以ってほとんど準備がなされていなかったが、自らイスラエルに積極的に連帯していくことが中東・北アフリカの平和の出発点であると確信していたサダート氏であるから、当時の訪問は信念から出た極めて電撃的なものであった」と語っておられた。


つづく

※久山先生は「イラクの子供たちを救う会(平成11年8月13日に目的を達成し解散)」の代表として約10年間に渡り先頭に立ってNGO活動を推進されました。現在は、日本と中東アフリカ地域の関わりに関心をもつ内外の人々の交流を図る「日本・中東アフリカ文化経済交流会」(JMACES)を設立、毎月1回講演会を行います。
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