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| City104|> 中東・北アフリカ地域の宗教と文化 >vol.11 |
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久山宗彦 (くやま むねひこ)
1939年 京都府生まれ。
東北大学大学院修了。ハワイ・イオンド大学名誉博士。 1976〜78年
カイロ大学文学部日本学科客員教授。法政大学教授, 星美学園短期大学長を経て、現在、カリタス女子短期大学学長。法政大学講師。元「イラクの子供たちを救う会」代表。 新共著に「イスラム教徒とキリスト教徒の対話」(北樹出版)がある。
「日本・中東アフリカ文化経済交流会」(JMACES)会長。
日本イラク文化経済協力会規約(NICE Society)会長。 |
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中東・北アフリカ地域の宗教と文化
第11回 『サウディアラビアと日本の文化交流』(その1)
−サウディアラビア− |
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外国と日本の文化交流は何はともあれ人物交流からはじまるものだというのが、以前からの私の持論であるが、これまで中東諸国と多々関わってきたとはいうものの、今回、イスラムの宗主国、サウジアラビアの重要都市を訪ねたのは、遅れ馳せながら私にとってははじめてのことであった。
サウジアラビア訪問の目的は「ジヤーラ・ジャーミアトル・マリク・サウード」(キング・サウド大学訪問)であるとパスポートに明記されたのだが、それは首都リヤードのキング・サウド大学言語翻訳学部日本語学科で私のカイロ大学文学部日本学科客員教授時代の教え子、Dr.カラム・ハリール氏とDr.シハーブ・ファーリス氏(いずれも筑波大学でドクターを取得)が、目下、国際交流基金より派遣されている岩元・中村両先生と共にスタッフとしてサウジアラビアの男子学生のみに━━このサウジアラビアで最も名の知れた大学の女子部はリヤード市ではあるが全く別のところにあって、9年間もキング・サウド大学で教育研究活動に携わってきたDr.カラム氏でさえ、そこを一度も訪ねたことはないということであった。
女子学生はみな女性の先生から教授されるのだが、専門によって女性教員がいない場合には、東京のサウジアラビア大使館で広報の仕事を担当しているムハンマド・アルジャンドゥール氏によれば、別室でしゃべる男性教授の講義を彼女たちはテレビを介して聞いているということだ。一方、キング・サウド大学の男子学生が女性の先生から教授されることも皆無だそうだ。
日本へやってきたムハンマド・アルジャンドゥール氏は当初、日本語学校にも通って女性教師からも日本語を教わっていたということだが、彼ははじめの頃、日本人女性教師を前にして何を言ったらよいのか適当なことばが見つからないとかれは語っていたが、何しろ異常な感覚に陥ったのだそうだ━━日本語・日本文化を教授しているので、従ってDr.カラム氏らと言語翻訳学部長、アブダッラーH.ホミーダーン教授による招聘と、事務的手続等で配慮してくれたDr.カラム・Dr.シハーブ、そして岩元・中村両先生の教え子、つまり、言語翻訳学部日本語学科卒業生の既述したムハンマド・アルジャンドゥール氏(現在、法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻の委託研修生でもある。国際関係論を研究中)の協力によって、私のサウジアラビア行きは何の問題もなく実現することになったわけである。
2002年1月28日午後3時半、カイロ空港前にある快適なトランジットホテルで日本からの旅の疲れをほとんど取り払うことの出来た私は、エジプト航空の乗り継ぎゆえ出国カードに何かを書き込む必要もなくゲート2の待合室に向かった。
この部屋では女性群からかなり距離をおいて男性たちが座っている。いよいよ男女峻別の国に向かうという前触れをこの待合室で既に感じ取ることが出来た。
ところで、リヤードにこれから向かうというのにリヤードからカイロに帰る機内のことについて語るのは余りにも性急すぎるかもしれないが、上に述べたことと関わる話でもあるので一寸触れることにする。
たまたま私の座席が、リヤード空港でご主人・赤ちゃんと別れていたその当の若い、高級のブルカアを身につけた既婚の(?)サウジ女性の隣であったのだが、一度は無造作に私がそこに座ろうとはしたものの、その女性の一瞬びっくりした不安な表情を察した私は、お尻をそこにおく前にスチュワーデスにそっと座席の変更を申し出た。すると彼女は素早く、他人の名前と共に座席番号が記されている搭乗券半券を私のそれと交換してくれた。ごく自然になされた見事な手捌きであった。これまでたびたび航空機に乗っているが、かような体験ははじめてであった。
飛行機は予定通り2時間20分でリヤードのキング・ハーリド空港に到着した。
入国査察では何時もがこうであるのか、アメリカ同時多発テロ事件後ゆえ審査が非常に厳しくなっているのか私にはよく分からなかったが、GCC(Gulf
Cooperation Councilすなわち湾岸協力会議)と外交官関係の人たち、それに一般人でもアラブ・欧米等の女性や家族同伴の者というごく一部の人たちだけは、人の流れに淀みはなかった。
GCCについて若干記すことにするが、サウジアラビアの現国王、ファハド・イブン・アブドルアジーズ・アール・サウード氏は、GCCが湾岸地域の力、そして盾になっていると見なしておられ、王のことばを借りれば「アッラーの祝福によってアラブ連盟の中でも強力な同盟、GCCは誕生し、これは正に協力体制のモデルとなるものである」ということだ。クルド人の問題を抱えているが同じアラブ国であるイラクの軍隊がかってクウェートにガズワ(聖なる戦いに挑む)という視点をもって入った時に、サウジアラビアを中心としたGCC諸国が統一歩調をとってこれに対抗したことは有名である。
話を元に戻すが、若いサウジアラビア人の命令口調の係官の指示に従って、遅々として進まないが長い一直線の列をつくって入国審査を待っている人たちの多くは、スリランカ・バングラデシュ地域からの人たちであった。
リヤードではいわゆる単純労働及びそれに準ずる仕事はほとんどすべてが外国人によってなされている実態を垣間見ることが出来たが、外国人労働者を雇う場合、大抵はアジア人を選んでいるようである。それには色々な理由が考えられるが、サウジアラビア政府が見ている最も重要なポイントは、アジア人は一般に外向的というより内向的傾向の者が多いので、それぞれが自らの豊かな文化を保持してはいても、サウジアラビア社会にそれらの文化を影響させることはほとんどないということであろう。
さて、私の場合、逸早く長蛇の列に加わって、朱色で「警告━麻薬の密売人には死が宣告される」と記されている入国カードにもスピーディーに必要事項を書き込んだまではよかったが、入国審査を終えるまでにはやはり2時間が経過していた。
外に出ると、待ち草臥れていたはずのDr.カラム氏と愛息ナイルちゃん、Dr.シハーブ夫妻があたたかく出迎えてくれた。
Dr.カラム氏宅のナイルちゃんの部屋で床についた時は既に午前2時半が回っていた。
つづく
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※久山先生は「イラクの子供たちを救う会(平成11年8月13日に目的を達成し解散)」の代表として約10年間に渡り先頭に立ってNGO活動を推進されました。現在は、日本と中東アフリカ地域の関わりに関心をもつ内外の人々の交流を図る「日本・中東アフリカ文化経済交流会」(JMACES)を設立、毎月1回講演会を行います。 |
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